INOUE,E.1899/1987: 井上円了「哲学早わかり」(明治32年)
(井上円了・著/東洋大学創立100周年記念論文集 編纂委員会 第一部会 部会長 高木宏夫・編
『井上円了選集 第二巻』所収、東洋大学、1987)
INOUE,E.1917/87: 井上円了「奮闘哲学」(大正6年)
(井上円了・著/東洋大学創立100周年記念論文集 編纂委員会 第一部会 部会長 高木宏夫・編
『井上円了選集 第二巻』所収、東洋大学、1987)
「円了読むのに遠慮は要らねゑ」草稿4-SmoothyBeaten Mix-
[本を出すなら....]
《この書物を出版すれば必ず大当たりで儲かるに相違ない》と仰せの学者の方々から勧められて、
その書物を出版したところで、ろくに当たったことなど無く、
むしろ、学者から《こんな書物が売れるものか!》と云われたもののほうが、
いざ出版してみると案外当たることがあるという(INOUE,E.1917/87,p.218)。
これは某書林の御主人の話だ(INOUE,E.1917/87,p.218)。
どうやら、《たとえ書物を見る目があったにしても、世間を見る目がない》、というのが、学者というもののようだ(INOUE,E.1917/87,p.218)。
よってこの幣を除く方法として、まず、当方から人に勧めたい考えというのは、
すなわち、自分の知ったことを書にするとか、
またそれよりも、自分のおこなったことを書にするとかいうことである(INOUE,E.1917/87,p.218)。
だからといって、拙作を広告したところで、決して自慢にはならないだろう(INOUE,E.1917/87,p.318)。
[本を読むなら....]
なるべく世道人心を裨益していくためにも、
この自閉的な時弊を半ば強制的にでも矯正するほうに、力を注ぎたいものだと思うが、
この目的を達するには書籍の研究としては、
たとえば一巻の哲学史か、一冊の哲学概論を熟読することでもって足りる(INOUE,E.1917/87,p.250)のかもしれない。
要するに読書のほうは、哲学の骨目大綱を知了するにとどめよ(INOUE,E.1917/87,p.250)。
決して年々歳々、雨後の竹の子の如くできる哲学の新著を通読するに及ばぬ(INOUE,E.1917/87,p.250)。
[やはり、まずは読まれるものを書こうよ]
今後は、《自分で読んでみて解しやすい書が、意外にも専門的である》、ということに、
却って驚くこともあるだろう(INOUE,E.1899/1987,p.45)。
produced and arranged by K.-m. as the SHYNAMITES,2011.