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2008年10月31日

Don't be ambiguous & Let's be ambitious.(Part 1)--再公開

Diopt.:La Dioptrique.(AT.VI)(『屈折光学』)
DM.:Discours de la Methode.(AT.VI)(『方法叙説』)
Med.:Meditationes de Prima Philosophia.(AT.VII)(『省察』)
PA.:Passions de l'Ame.(AT.XI)(『情念論』)
Regul.:Regulae ad Directionem Ingenii.(AT.X)(『精神指導の規則』)
&à Chanut,La Haye,6 juin 1647,
à Elisabeth,Egmond,4 août 1645,
à Elisabeth,Egmond,18 août 1645,
à Elisabeth,Egmond,6 octobre 1645,
à Elisabeth,janvier 1646,
à Elisabeth,mai 1646.
AT.:OEVRES DE DESCARTES, publiées par Charles ADAM & Paul TANNERY, nouvelle édition, J.VRIN, Paris, 1996.

Don't be ambiguous & Let's be ambitious.
(part 1)

for THE MAT MIRROR.

(乱されないけど、充たされない)

人の欲と理性--家族は計画的に

欲望の由来は三種類

まず、「あらゆる類いの」「欲望」は(à Elisabeth,Egmond,4 août 1645:AT.IV,266.22)、「至福を伴った」り(ibid.:AT.IV,266.23)、「忍耐のなさから」(ibid.:AT.IV, 266.24)きたり、「悲しみから」(ibid.:AT.IV,266.24)きたりする。
*****

もし年齢だけが気に入った場合は、
どうせ身体だけのために感情をもっていたのが私だろう

「例えば」(à Chanut,La Haye,6 juin 1647:AT.V,57.10)、あくまで「少女」が「私の年齢」になっている、ということだけを「愛していた」のが、もし「私」だ(ibid.: AT.V,57.11)とすれば、どうせ、「あらゆる」(Med.6:AT.VII,76.03)「感情を」(ibid.:AT.VII,76.03) 「そうした」物体なり身体なりだけ「のためにすすんで pro」(ibid.:AT.VII,76.04)「感覚していた」のが「私」だ(ibid.:AT.VII,76.04)、ということになるだろう。
*****

危うさを知らないなら行動するな

しかし、そもそも或る事物をめぐる諸々の意見について、信じるという「予断」と否定するという予断とが「ちょうど均等」の「重さ」になった (Med.1:AT.VII,22.15)とはいえ、そうした予断に「随伴」する「危険」について、もしくはそうした予断から「帰結」する「過誤」につい て、「私が」「全然」知らないのであれば(ibid.:AT.VII,22.18-19)、「今」の「私が掛かりきっている」その「事物」は「行動される べき」では「ない」(ibid.:AT.VII,22.20-21)のだ。

我々にとっては、有益で、しかも命拾い

「度々到る」ところによれば、「この」ことは(à Elisabeth,janvier 1646:AT.IV,356.25)、「我々にとって」「大いに有益となり」(ibid.:AT.IV,356.25-26)、「生命として」も「我々 にとって重要となること」「さえ」あり「うる」(ibid.:AT.IV,356.26-27)。
*****

みずから子孫を残す気はない

「我々が」もし「知らないならば」(Diopt.7:AT.VI,148.16)、「我々」がみずから「新しい身体」を「作る」かもしれない が(ibid.:AT.VI,148.16)、「そんなことは」「ちっとも」「我々の主題に属して」い「ない」(ibid.:AT.VI, 148.18)。

発明などの場合は増殖は不要だ

たとえば「方程式」のような等分をして「発明」する(Regul.20:AT.X,469.02)、あるいはそれに「類似した」操作の「すべ て」においては(ibid.:AT.X,469.02)、「決して」「掛け算とか増殖とかを」「使うこと」は「ない」のであって(ibid.:AT.X, 469.03)、「いつでも」「割り算」の如く分岐する「位置」が「あるだろう」(ibid.:AT.X,469.03-04)。
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理性で自制する人の生活--まともな教えを受けたなら、理性を使うはず

「私」が「少しも疑わない」(à Elisabeth,mai 1646:AT.IV,412.05)かぎり、「すべての」格率(maximes)のうちで「最良の」ものが「ある」の「ではないか」(ibid.: AT.IV,412.06-07,cf.412.04-05)。「みずから規制する」(ibid.:AT.IV,412.07)にあたって「理性に基づ く」だけで(ibid.:AT.IV,412.08)「存在する」のは「すべて」「人間」「にちがいない」し、それ「と同様に」(ibid.: AT.IV,412.10)「もっぱら」「考察」されているのは(ibid.:AT.IV,412.11-12)、そうした人々みずからが「おこなうは ず」の「こと」についてだけだ(ibid.:AT.IV,412.12)。

案の定、「真なる教え」の(à Elisabeth,Egmond,6 octobre 1645:AT.IV,315.07)「備わって」いる人(on)が「知っている」のは、「理性を使用すること」だ(ibid.:AT.IV, 315.10)。

*****

技術の濫用について--何回か遣らかした後で悔やんでるうちにも、被害は広まる

にも拘わらず、「何回か実験なり経験なりした」うえで(Diopt.2:AT.VI,99.25)、「すなわち」(Diopt.7: AT.VI,163.24)、「技術でもって」(ibid.:AT.VI,163.25)「そこに」「どんな事物でも付け加えるということ」 (ibid.:AT.VI,163.25)をしたうえで、「悔いを伴って」いる人(on)もいるが(Diopt.2:AT.VI,99.25-26)、そ の「際に」はその人の「発射させ」た(ibid.:AT.VI,99.26)「大砲の一門」が「河川の底のほうへ」行き(ibid.:AT.VI, 99.26-27)、しかも「岸辺で」は「他の側に」も人々が「居た」(ibid.:AT.VI,99.27-28)。

*****

欲がないなら義務もない

「各々が情念をもつ」以上(DM.1:AT.VI,2.03)、そうした情念の「本性を晒すべく」、「よそから借りてきて何も観察」したり監 視したりして見守る「必要はない」(PA.§1:AT.XI,327.15-16)。となれば、各々がそうした情念を「習慣」づけて「欲望する」ことも 「ない」(DM.1:AT.VI,2.01&02)。のみならず、「私」が「欲望していない」のに何かに「義務づけられ」て「私の原理」を「過度 に」「表明する」こともない(DM.6:AT.VI,75.15&16-17)。

充たされているのは心の中だけ

要するに、「諸々の充足が有る」のは「とにかく」(à Elisabeth,Egmond,18 août 1645:AT.IV,277.17-18)「精神なり気質なりのなかだけ」なのだ(ibid.:AT.IV,277.20)。

produced by K.-m. as the SHYNAMITES.
初出:"What a cool believes"(blog),Oct.17,2006.