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2008年10月10日

The God is needed from me./まさか私にとって神が要らないわけないだろう--再考かい?

DM.:Discours de la Methode.(AT.VI)(『方法叙説』)
AT.:OEVRES DE DESCARTES, publiées par Charles ADAM & Paul TANNERY, nouvelle édition, J.VRIN, Paris, 1996.
まさか私にとって神が要らないわけないだろう
----The God is needed from me.
(for THE MAT MIRROR)

「私」が存在すること「よりも」「観念」が「存在する estre」ことのほうが「完全だ」、ということについて(DM.4:AT.VI,34.13)、「完全たることのすべて」を「みずからにおいてもってい る」のは、「まさに」、自然で本性的なことなのである(DM.4:AT.VI,34.21-22)。となると、「劣ることなく矛盾しているのは」、「最も 完全な」ものが「あまり完全でない」ものから「一貫」していたり、あまり完全でないものに対して「一つ」のものとして「依存」していたりすること (DM.4:AT.VI,34.15-17)だ。ところで「私は」、「その」観念を「保持する」ことを、「もはや私自身で」は「できなかった」 (DM.4:AT.VI,34.18-19)。このように、自然で本性的なのは「私ではなかった」のだが、それでも、このことが「比較的完全」で「あっ た」ということは、「真で」(DM.4:AT.VI,34.20-21)ある。「すなわち」(DM.4:AT.VI,34.23)、その本性なり自然なり として「居る estre」のは「神」だ(DM.4:AT.VI,34.24)。
さらに、「これに付け加えた」のは「私」だ(DM.4:AT.VI,34.24)。なるほど「完全たること」について は、「幾つか」「私は認識していた」のだが、それらの完全性を「私は少しももっていなかった」(DM.4:AT.VI,34.24-25)。「私は」 「‘学校’から」得た「語を」「使うつもりだ」が、「もしあなたがたが好むならば」「ここで」それらの語を「解放して librement」(DM.4:AT.VI,34.26-27)しまおう。
もし「比較的完全な」ものが「何かほか」に「あった」場合、それは必要に応じている「にちがいない」(DM.4: AT.VI,34.27-29)のであって、「やめられない」ほどに必要だから(DM.4:AT.VI,34.28)、「私は」そうした比較的完全なもの に「依存していた」(DM.4:AT.VI,34.29)。
そこで「私がおこなったばかり」の「諸々の推論」に「沿って」(DM.4:AT.VI,35.07)いくと、「神につい て」「認識する」のが「自然」で本性的なので(DM.4:AT.VI,35.08)「私がすべきことは」、「諸々の事物のすべてについて」「考察すること だけだった」(DM.4:AT.VI,35.09-10)。すなわち、「それら」の事物を「所有すること」で、はたして「完全になったか」「あるいは」完 全になら「なかったか」(DM.4:AT.VI,35.11)、ということを考察するだけである。
まず、神において「存在しなかった」ものが「特徴づけていた」のは「いずれも」、「何だか」「不完全」だった(DM.4:AT.VI,35.12-13)。
しかも「私においてひじょうに明晰」なことを「すでに認識していた」「私」が(DM.4:AT.VI,35.22- 23)「考察する」ところによれば、「合成」されているものが「すべて」だ、ということは、それらが「依存」しているということを、「立証する」 (DM.4:AT.VI,35.24-25)。「その」依存ということから「私が判断していた」ところによると(DM.4:AT.VI,35.26- 27)、知性と、物体やら身体やらという、「これら二つ」にとって「自然」で本性的だということ「から合成されている」かぎり、それらは「一つ」に「なっ ていて」も、「神において」は「完全たることができなかった」(DM.4:AT.VI,35.27-28)。「世界のなかにあった」のが、「もし何らかの 物体なり身体なり」、「あるいはとにかく bien 知性」による「何か諸々の」もの、「あるいは他にとって自然」で本性的なものであり(DM.4:AT.VI,35.29-31)、そしてそれらの「すべ て」が「少しも完全でなかったならば」(DM.4:AT.VI,35.31-36.01)、たとえ神「なき」「契機」が「ただ一つ」であれ、また「そのよ うにして」「存続できた」としても、「それら」にとっては自然で「なかった」はずだ(DM.4:AT.VI,36.02-03)。
なるほど、「‘存在’」すると「完全な」のは「一つ」だということを、観念として「もっている」のは「私」だが (DM.4:AT.VI,36.22-23)、「まさに」このことに「比較して」「なお明証的」なのは(DM.4:AT.VI,36.28)、「神」(DM.4:AT.VI,36.29)である。すなわち、「‘存在’」すると「完全な」のは、「この」神で「ある」(DM.4:AT.VI, 36.30)。
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初出:"What a cool believes"(blog),Sep.29,2006.