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2008年12月1日

Getaway is the better way.(Part 1)--再公開

ANDOH 1998:安藤 正人「情念の分析と道徳」
(湯川 佳一郎・小林 道夫 編『デカルト読本』所収、法政大学出版局、1998、
pp.118-127)

TANIGAWA 2002:谷川 多佳子『デカルト「方法序説」を読む』(岩波書店、2002)
TAKEDA 1965/76:竹田 篤司『デカルトの青春--思想と実生活--』
(勁草書房、1965初版、1976新装版)

SAWADA 1996:澤田 直「〈自由〉と〈語る主体〉--サルトルのデカルト理解--」
(『思想』No.869所収、1996年11月号、岩波書店、pp.155-172)

Getaway is the better way.(Part 1)
for THE MAT MIRROR.

(全力疾走/全力失踪)

弱点の隠蔽について

「連鎖」が「古い」にも拘わらず、それを「習慣」づけることで「新た」に「置き換えること」の「できる」のが、我々だ(ANDOH 1998,p.126)。たとえば「勇敢」に「大胆」に「やりとおす」と「決めた」のが「一度」である(TANIGAWA 2002,p.95)というデカルトのように、「場合によって」は、「唯一度」だけ「可能」な「行為」をすると、「その」ように新たに「置き換え」られる (ANDOH 1998,p.126)。

さて、そのデカルトについて我々の「指摘」する「こと」は、「屈折して」「幾重にも」なってしまう面、「あるいは」、「弱さ」や「悲しみ」に対する「見方」で「従来」のほうを「強調する」「面」である(TANIGAWA 2002,p.95)。
そのなかでも特に我々が「注目しよう」とするのは、「モラル」に限らず、「デカルト」や当事者がみずからの弱点を必ずしも「隠蔽しようとはしなかったこと」である(TAKEDA 1965/76,p.161)。

まず、「まともに」当たっては犬死にもしかねない「連中からは」、なるほど「とことんまで逃げまわった」(TAKEDA 1965/76,p.161)。「しかし」だからといって、「この場所」にかどうかはともかく、どこかに「自分の弱点」が「ある」ということを「隠しだて はしない」のであって、「むしろ、弱点」が「あるというまさにそのことをもって、いけすかない相手に対して沈黙を守る絶好の」手立てとした (ibid.)。他方、デカルトの場合はただ二人だったが、限られた人々に対して「だけは」、自分の弱点のある「その部分を躊躇なく」押し広げては、それ らの人々の「手の触れるがままに」任せたのである(ibid.)。「さらにまた、ときによっては、その場所が」まるで「自分にとって」決して「弱点ではな い」かのような振りをすることもあった(ibid.)。

責任放棄--沈黙

「サルトル」に限らず、我々も「執拗に避け」てきたのは、思惟することを、つまり「コギトを」自己へ、つまり「エゴへ投げ返すこと」だった (SAWADA 1996,p.167)。「語る主体と思惟する主体」との「間」で「微妙」に「ずれ」ているということに関して「示唆」するところを「多く」「含んだ」 「物語」もある(ibid.)。「決して」「私」とか「自我」とかでは「ない」という場合に「問題となっているのは」、「非人称」たることを「根源」にし ているということであり(SAWADA 1996,p.168)、そこでは「沈黙」することが「重要」となるのだが、それはなにも『嘔吐』という「小説」のなかに(SAWADA 1996,p.167)限ったことではない。


produced by K.-m. as the SHYNAMITES.
初出:"What a cool believes"(blog),Oct.11,2006.