NODA 1966:野田 又夫『デカルト』(岩波新書、1966)
OCHIAI 1953/67-b:落合 太郎「訳者註解」
TAKEDA 1965/76:竹田 篤司『デカルトの青春--思想と実生活--』
TANIGAWA 2002:谷川 多佳子『デカルト「方法序説」を読む』(岩波書店、2002)
for THE MAT MIRROR.
以下、「人間関係における彼」デカルトおよび我々当事者の「混乱した無惨な不安をあらわに」示している(TAKEDA 1965/76,p.99)。
まず、当事者なる「デカルト」ならびに我々は、「いわば自分」自身を「ごく少数の交友のなかだけに閉鎖して」しまった (TAKEDA 1965/76,p.98)。そして、「限定されたその」範囲の「内部において」自分なりの「調和感を構築していったわけ」である(ibid.)。した がって、「この圏内から」一歩「でも」踏みだすことが、自分の「安定感を」激しく「脅かすものとなった」のも、「当然」だ(ibid.)。
「他人と」「交渉」する際に「結ばれ」る「関係」が「まだ論理的」になって「いない」と、「自分の調和感が」崩される、 ということで、「ひどく不安をいだいていた」デカルトや我々当事者は、「住所まで」ひた隠しにして、「他人から絶えず逃げまわっていた」(TAKEDA 1965/76,p.99)。「さらにデカルト」の場合は、偽の「住所まで使って姿をくらましながら」常に「隠れまわりつつ、他方、自分」についての「噂 を知りたくてならぬという」「好奇心を如何ともすることができなかった」のだ(ibid.)。
さて、「少数の限定された交友という圏内から完全にはみだして」しまい、「不特定」「多数」の「者と共存」するという「関係を」前にしたと き、デカルトおよび我々当事者は、「外部より迫る不安から」自分の「身を守るため」、「実生活を」敢えて「二重化し、両者の中間に」「緩衝地帯」のような ものを「仮構的」に「設け」て、そこに「隠れて」「研究」やら「探究」やらに「専念し、そこから生ずる安定感をいよいよ徹底的に純化」するべく目論んで、 しぶとく「生活」したものだ(TAKEDA 1965/76,pp.99-100)。
なるほど「その」当事者の「関心の変化に応じて」、「ときどき」「この関係」「そのもの」も「変化する」が、その場合で「さえ」も、少なくともそういう「捉え方」をする「ひと」は「同じ」で「ある」(IIDA 1998,p.249)はずだ。
「このような不安定のなかで」、その「夢の実現をはかることはもとより容易ではなく」、「学問的」には勿論のこと、「倫 理的」にも、「漠然とした希望を」僅かに「つないでいるに」すぎなかったということもあって、「デカルト」のみならず我々の苛立ちは「大きかった」 (TAKEDA 1965/76,pp.19-20)。ましてや、「つながってくる」のが「もしかすると」「そこ」なの「かも」しれない、という「状態」にさえも行き着か 「ない」場合、まず「整理」して「みないと」、いくら「進めて」も「もっと」「問題」になる(TANIGAWA 2002,p.51)だけだ。なるほど、第一に、「オランダ軍隊」についてかどうかはともかく、「勤勉と」規律正しさを「讃え」たり、「何の不安なしに眠 れることの」有り難さ「などを告げ」たりしている(OCHIAI 1953/67-b,p.186)。そして第二に、「ヨーロッパ各地方」かどうかはともかく、「著者は」「よく歩いていたので、どこに逃げたらよいのかに はさほど迷わなかったらしい」(OCHIAI 1953/67-b,pp.183-184)。
「だが、彼」デカルトや我々当事者を「脅かすものがこれで完全に窒息させられたかどうか」(TAKEDA 1965/76,p.101)。「デカルト」をとおして筆者に判ってきた「ことは」、すなわち、「だんだん」と繰り返して「いるうちに」、「こういうこ と」が「何とももどかしい」、という「感じで」ある(NODA 1966,p.13)。何しろ「このように広汎な行動半径に」裏づけられていた「ため」に、「最も健康」であるにも拘わらず、デカルトおよび我々は当事者 として却って「孤独」な「ものとなった」(TAKEDA 1965/76,p.35)。