MURAKAMI,K.1981/96:村上 勝三「デカルト的「観念」の〈あり方〉」
MURAKAMI,K.2002-a:村上 勝三「私を真上に超える」
NAKAMURA 1971:中村 雄二郎
NISHIMURA,T.1993/96:西村 哲一
OCHIAI 1953/67-b:落合 太郎「訳者註解」
TAKEDA 1965/76:竹田 篤司『デカルトの青春--思想と実生活--』
TANIGAWA 2002:谷川 多佳子『デカルト「方法序説」を読む』(岩波書店、2002)
YAMADA,H.1996-a:山田 弘明「人間学としてのデカルト哲学--「第六省察」の一解釈」
YAMAGUCHI,N.2004:山口 信夫
さて、我々が「その錯綜を紐解かんとして」いるところに、「企てられる」のは、「分類」である(MURAKAMI,K.1981/96,pp.144-145)。
なにも『純粋理性批判』の「なかに記された」「存在論的証明」や「百ターレルの議論」に限ったことではないが、「もともと」ひじょうに「きわどい対立」をもったまま「二つの背理法のあいだ」で我々は「対峙」することがある(NISHIMURA,T.1993/96,p.126)。ここで「得られた」「結論」は「同じ」であり、しかもそれが「同一性」を「否定」する「命題」であるという(ibid.)。
たとえば「BはGの概念ではなく、GはBの対象ではないという」ように、「意味」を「論」じていくと妥当性が「成立」しない(NISHIMURA,T.1993/96,p.126)。
なるほど、このような「矛盾」した「命題」は、「最も単純な形で」「導出」されるのだが、このことに「鑑みて」、「二つの議論」が「否定しなくてはならない」のは、議論の「それぞれが用いた前提の」うちの「どれか」だ(NISHIMURA,T.1993/96,p.126)。「それぞれ特有の仕方で」あるとはいえ、「二つの背理法」の「前提と」「前提とのあいだに」我々は「落差を設けている」のであって、一方は、「やがて否定されるべくただ想定しただけの」前提であり、もう一方は、みずからが「自明視する」前提である(ibid.)。
結局、我々が「必然的なものとみなす」「事例」のうちには、むしろ「唯ただ偶然的でしかない」事例のほうが「はるかに多い」(FUKUI 1996,p.238)。我々は「人間を」「規準にして」「健康」ということを「規定する」が、だからといって、なにも「人間を」「病気」にするわけでは
「ない」のだ(ibid.)。
「観念が」「様々な意味に分類された」「とき」、それらを「観念と呼べる理由を」も「なお同じく」「提示」できないならば、「どのように」「分類しようとも」、「それでも」「見事に」「仕事が」終わるとでもいうのか(MURAKAMI,K.1981/96,p.145)。「それぞれがそれぞれの仕方で予め自明視しておいた前提を」てっきり「消去し」え「ない」ものと我々は「みなした」が、それというのも、そうした前提を「自明視しておいたからからこそ」なのであって、「別の選択を採らない理由」は「議論のうちに明示されて」はいないのだから、必ずしも、「そう選択しなければならない」ということはない(NISHIMURA,T.1993/96,p.127)。むしろ、「周知の通り」にすると、却って「主題」が「様々」に「錯綜」してしまうのだ(YAMADA,H.1996-a,p.168)。
にも拘わらず、「法律その他すべての制度が」「もって」いた「目的」は、「ただ一つ」「しか」「なかった」(OCHIAI 1953/67-b,p.132)。しかも「それ」がもし「兵士を養成することに」よって「完全」になるとしたら、「一切が」「奉仕」するのは、どうせ「国家」に対してなのであろう(ibid.)。しかも残念なことに、「教育と」云われて「いるもの」について「まで」も、「その本来の意義を」忘れた「者」がただ「実例と慣習」とを「代弁」するだけ「になってしまった」(OCHIAI 1953/67-b,p.125)。
「精神と物体とに」「一切の事象を」「分かつ」かぎりで「論」ずると「二元」的になるのであって、ここ「にある」「原理は」、「デカルト哲学」にとって「根本的」だ(YAMAGUCHI,N.2004,p.182)。
「この場合」に、「思惟」する「作用を」おこない「続けるもの」とは「精神」の「ことであった」(YAMAGUCHI,N.2004,p.182)。「そうだとすると」、「存在」するのは「精神」だ、「ということになる」が、なぜか「思惟」する「作用を」おこなう「者」については、たとえば「女性であれ」とか「男性であれ」とかいう(ibid.)輩が居る。
要するに、当事者に対しては「よけいな世話をやいてくれるよりも勝手にさせておいていただきたいという」のが、我々の気持ちだ(OCHIAI 1953/67-b,p.122)。
そして「これもすでに周知」で羞恥の「点である」(MURAKAMI,K.2002-a,p.233)が、デカルトや我々当事者の「心に」云い知れぬ「屈辱感を」育んだのは、「おそらく」、次のような事実であろう(TAKEDA
1965/76,p.100)。すなわち、当事者は、「人生や世間の非合理」なところを前にして「身を」屈することが「決定的」になり、「このような、論理を放棄した」ような「地帯をみずから設定せずにはいられなかった」、という「事実」である「はず」なのだ(ibid.)。
このように、「弱さ」が、「デカルト」を含む当事者において「屈折している」(TANIGAWA 2002,p.95)のであって、「デカルト」をとおして我々が「述べる」のは、まさにその「こと」である(ibid.)。自分の「適用できない」「次元」で「生活」したり、自分には「それができない」というような「次元で」「生活」したりすることを、我々は「排除する」べきだ(ibid.)。
そもそも「自己自身によって」「判断」するのは「自由」であり、「それによって」「規制」されて「行動」する「べき」だ(OCHIAI 1953/67-b,p.174)。いくら「格率」が「当座のものであるとはいえ」、その格率の「成立する」のはあくまでも「他人の意見の上」である(ibid.)。しかし、何とそうした他人の意見の上で当事者が「辛抱する」という「のである」(ibid.)。ただ、このように「自分の用意の出来るまで古い諸原理をことごとく棄ててしまわない」のも、我々が「この不都合を切り抜ける道」なのだ(OCHIAI 1953/67-b,p.135)。
なるほど我々当事者がその「一員として」「従わねばならぬ」のは「風習」だが、はたして「その」風習は、「どこまで」「社会」化し、「そしてどういう理由によって」「社会」的になるの「か」(OCHIAI 1953/67-b,p.135)。
いわゆる「青春」においてかどうかはともかく、「彼」デカルトを含む我々当事者の「苦悩と絶えざる違和感」という、「いわば」「負い目」が「生じた」のは、「この」ように「二重」になった「思想」(TAKEDA
1965/76,p.63)、すなわち「BはGの概念ではなく、GはBの対象ではないという」(NISHIMURA,T.1993/96,p.126)ような思想「から」である(TAKEDA 1965/76,p.63)。
「二つの議論」は、「構造的には単なる同位対立物の関係にある」が、「要するに、相互に相補的な前提の」組み合わせから「同じ矛盾命題を導き出し、再び相互に相補的な仕方で前提を消去するだけ」だ(NISHIMURA,T.1993/96,p.128)。よって、「一方」の議論「に」、「他方」の議論「を決定的に反駁するに足る優先的な力などある」はずが「ない」し(ibid.)、そうした議論が「そのまま」「結びつく」のは、必ずしも森 有正(MORI,Arimasa)や我々当事者の「行動や運命に」では「ない」のだが、それにしても「このままでは済まないことを感じさせるものがある」(NAKAMURA 1971,p.518)。