TOMONAGA 1925/49:朝永 三十郎『デカルト』(岩波書店、1949、初版『デカート』1925)
YAMADA,H.2001-a:山田 弘明「解説」
なにもデカルトの親族に限ったことではないが、デカルトの場合は「このような父親」に対してだけではなく「兄弟たちに対 して」も「冷酷な感情しかもち」えなかったという(TAKEDA 1965/76,p.91)。だが、それはデカルトの場合で云えば、「のちに」デカルトの「父と姉とが」続けて「死んでも」、デカルトの兄弟たちが、「知 らせすらよこさなかった」せいであるから、「当然」だろう(ibid.)。
また、なにもデカルトの先祖に限ったことではないが、デカルトの場合、「実母」について「正確な死亡日を知らず、まし て」、その「直接の死因となったはず」の人なり事柄なり、すなわち、デカルトの実母が「亡弟」を出産したことであるが、その事柄の「存在など知る由もな かったという」のは、いくら「奇妙」だとはいえ「事実」なのだ(TAKEDA 1965/76,p.92)。ちなみに、デカルトの「母親」は「ジャーヌ・ブロシャール」(BROCHARD,Jeanne)といい、「母の死因はおそらくこのときのお産で」あり、「赤ん坊も母の死後三日目に」死んだ(ibid.)という。
元来先祖の「家風を重んじた」はずの「父」(TOMONAGA 1925/49,p.13)の「家族のうち」には、結局、デカルトおよび当事者自身に「真実を明かしてくれた者」は、誰ひとりとして「いなかったわけ」だ (TAKEDA 1965/76,p.93)。それだけではなく、「彼」デカルトや当事者が「最後まで真実を知らずに死んでしまったであろうことも」、「充分にあり」うる (ibid.)。
いずれにせよ、なにも「彼」デカルトの場合に限ったことではないが、第一に、何のために「その必要が」あるのかはともか く、「どうして」も当事者に「真実を告げようと」した者が(TAKEDA 1965/76,p.93?)、残念ながら、「家系を重んずる」はずの「親戚」(TOMONAGA 1925/49,p.74)のなかに誰ひとりいなかったということ、そして第二に、誤りの事柄をあたかも「真実」であるかのように「思い」込ませていたの が、当事者の親族のなかに何人もいたということ、これら二つのことは「事実」である(TAKEDA 1965/76,p.93?)。ちなみにデカルトの場合は、その「父親や兄、父方の祖母や」可愛がってくれた「母方の祖母、やはり愛してくれたらしい姉な ど」であった(ibid.)。