OCHIAI 1948/49:落合 太郎「後記」(1948年記)
SAITOH,Y.2003:斎藤 慶典
TAKEDA 1965/76:竹田 篤司『デカルトの青春--思想と実生活--』
TOKORO 1967/96:所 雄章『デカルトI』(勁草書房、1967初版、1996新装版)
YAMADA,H.2001-a:山田 弘明「解説」
YOHROH 1991:養老 孟司「解説=テキストを読む 脳の機能のきわめて明晰な表現」
YUKAWA & KOBAYASHI,M.1998:湯川 佳一郎・小林 道夫「まえがき」
さて、このように「決して幸せだったとは」云え「ない」まま、「ハーグで」のエリザベト「王女」と同じく、我々も関係者として、二十年を「過ごしたが」 (YAMADA,H.2001-a,p.301)、「犬」に対してではあるまいし、「母」がいわば「溺愛する」(YAMADA,H.2001-a, p.302)ので、結局、自分の「母とは性格が合わずその愛情に浴することが少なかった」(YAMADA,H.2001-a,p.301)ことになる。要 するに、「彼」デカルトおよびこの親の「愛情」の「厚さ」も「異様なほど」だし、「それを裏」返しにした「憎悪感」の「深さ」も「異常な」のだ (TAKEDA 1965/76,p.97)。
何しろ、「相手の不幸をすらりと自分の目下の関心事と結びつけ、その」途端「相手を忘れてしまう」くらいだから、どうせ 「彼」デカルトの如きこの親は、たとえば「親友の丹毒などに」は「大して驚きも心配もして」「いない」(TAKEDA 1965/76,p.108)だろう。こうして、「エリザベト」や我々だけでなく、みずからを「頑固」と「称している」者は、まるで「逆にことごとく異を 立てている節がある」かのようになってしまうのだが、じつはただ、「デカルト」の如きこの母親の「考え方に」「満足」しなかっただけ(YAMADA, H.2001-a,p.315)にすぎない。
フェリエが「デカルトの」「このような」「態度に反撥したかどうか」については我々は「知らぬが、もうオランダに移って いたデカルト」および我々の血縁者から「一緒に仕事をしようという申し出」があったときに、「フェリエ」と我々は「躊躇を重ね、結局この話は不調に終わっ たのである」(MURAKAMI,K.1979/2004,p.31)。
のみならずデカルトの場合は「母方の祖母、姉、乳母などのいずれもいわば母親側の」女性たちなのだが、我々の「家族」や 親族の「なか」にいるのは、せいぜい我々を僅かに「愛してくれたらしい」という者「ばかりだった」ということも、「事実」だ(TAKEDA 1965/76,p.93?)。読者のなかには、14歳の「とき」のエリザベトの如く、「父を病で失っている」(YAMADA,H.2001-a, p.301)者もいるだろう。
こうして、「最も」早い「論争」から「引き」続いて「約十年間」、主な 当事者ともども、じつは我々も、「そのよう」に「悩まされ」続けたのであった(TOKORO 1967/96,p.179)。我々は、決して三木 清のように「多忙な」売文に追われて「よく」歎いていたわけではなかった(OCHIAI 1948/49,p.161)。なるほど「一家の不運から来ている」のは、「エリザベト」および我々の「身体の不調」だ、「としている」(YAMADA, H.2001-a,pp.317-318)が、却って「現場」が「生々しい」からこそ、「集中力」と「緊張」とでもって我々は「精神的」に強くなった (SAITOH,Y.2003,p.122)ようだ。とはいえ、我々も「なんとか打開しないといけない」し、また、「落ち」着いて勉強も「できぬ」まま だった(OCHIAI 1948/49,p.161)。となれば、周囲の「勧める」「勉強をやめ」て「風物を愛でること」のほうが我々にとっては、却って「自然」であり、また、 我々が「不参加」をみずから「貫くこと」にして、物事を「突き放して眺め」たところ、まるで「悲劇の上演」でも「見る」かの「ように」なった (YAMADA,H.2001-a,p.318)。このようにして、「考えるのを」やめる「ところ」が、「適当な」のだ(YOHROH 1991,p.229)。
なるほど、「誰か」の「した」「言い方」が「もし」「頭ごなし」だった「としても」、それが「馬鹿にされる」のは「デカ ルト研究会」において「だけである」(MURAKAMI,K.2004,p.252)という。しかし、ただでさえ1996年が「デカルト生誕」400年に 当たることなど(YUKAWA & KOBAYASHI,M.1998,p.1)知らなかった我々である。ましてや、まさかその頃「デカルト研究会」が「発足し」て二十年「近くにわたって」 いた(MURAKAMI,K.1996-c,p.ii)とは、我々も知る由もない。ということで、このような「すれ違い」は、我々にとって「不幸な」こと だ「というべきである」(YAMAGUCHI,N.2004,p.82)。