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2012年9月9日

対人恐怖と対神恐怖

cf. HONJOH,T.2012: 本城武則『EQ英会話』(ダイレクト出版、2012)


まず、ここで云われている「対人恐怖」とは(HONJOH,T.2012,p.29)
とにかく「人の目が気になる」(HONJOH,T.2012,p.51)という心境のこと、
たとえば、「自分以外の人」に対して、とりわけ「他人に」対して「恐怖を覚えて」、「他人を避け」ること、
ましてや「知らない人とは気楽に会話でき」ないような心理状態のことであり(HONJOH,T.2012,p.29)
これには、「日本人の99%」が(ibid.)該当するという。

他方、「対神恐怖」とは、「神の目が気になる」(HONJOH,T.2012,p.51)という心境のことである。
「人が見ていなくても悪いことは悪いし、善いことは善い」というのは、「神が私を見ている」からであり(HONJOH,T.2012,p.53)
これは、「一般的な欧米人の考え」方(ibid.)だという。
何はともあれ「神が怖い」(HONJOH,T.2012,p.51)のであって、
それに比べれば、「知らない人に声をかけ」るなんて「平気」だし、
「たまたま飛行機などで隣に座った者同士が」「会話をすること」なんて、「何時間」でも「気楽に」できる(HONJOH,T.2012,p.29)、ということだ。


さて、ここから当方は、「対人恐怖」の利点と弱点について考えてみた。

まず気になるのが、
《人を恐れるけど神を恐れない》という態度である。

人を恐れているうちに、いつしか神をも恐れぬ技術を駆使して、開発に勤しみ、卓越していくうちは、
とても素晴らしいのだが、
ときどき行き過ぎて、御自分の健康を損ねたり、みずから命を絶ったり、自然破壊したり、なんてこともあるようだ。

きっと、人を恐れすぎて歯止めが利かなくなってしまうのだろう。

そして、「対神恐怖」の利点と弱点。

《神を恐れるけど人を恐れない》から、
人懐っこく近づいて声をかけていく割には、
結構、隣人諸君を平気で虐殺、なんて事態に陥っている。

きっと、神を恐れすぎて歯止めが利かなくなってしまうのだろう。

どちらの場合にも、度を超すと、倫理的にも崩壊するようだ。

では、人に対しても神に対しても、程よく畏敬の念をもつにしても、
だからといって、人をも神をも恐れすぎない、という、
そんな心境および態度なんて、あるのかな?

当方では、2005年の冬以降、
私には神が居る/要る The god is inside and beside me.》ということを、
事実として、自分で認めるようにしている。

(但し、当方の云う神は、もともと哲学界隈で云われている神であり、必ずしも聖典に由来しているわけではない。)

《私》という語に匹敵する一人称を使えるのは、決して当方だけではないから、
当然、《あなた御自身にも、神(あるいは、神に匹敵する者)が、きっと居る/要るはずである》。

なお、神以外についても、仏についても、いわゆるメンター(師匠)などについても、
御自分で心から受け入れているかぎり、同様のことが成り立つはずである。

こういう事実を自分で率直に認めてしまえば、
安心するかもしれないし、
勇気が湧いてくるかもしれないが、
少なくとも、動揺しないでしょ?


cf. HONJOH,T.2012: 本城武則『EQ英会話』(ダイレクト出版、2012)

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