G.Opera: SPINOZA OPERA,im Auftrag der Heidelberger Akademie der Wissenschaften,
herausgegeben von Carl Gebhardt, Heidelberg, C.Winter,1925.
ここは出雲ではないので、神在月とも云えず...
(Flat Mix)
aZ-W-NMJ-UT-EDB-QP-HG
実在していることをその本質として包んで縺れていなくても、それは把握されうるのであって、その際にはみずから観念になったものとともに来て一致することになる。したがって、たとえ帰結するはずの結果としては不可能なものが在るとしても、何らかの結果が帰結するのは必然的だ。
但し、一方で把握されたものが概念として包んで縺れていても、他方で把握されて概念になっていないようなものは、みずからをとおして互いに知解されることはできない。つまりそれは存在しているのが他においてである、ということであり、それはまた、公理として自明なとおり、原因として認識されるべきものを包んで縺れているうえ、そうしたものに、すなわち原因として認識されるべきものに依存する。
結局、みずからをとおして把握されて概念になるにちがいないとなれば、それは他をとおして把握されることはできない。
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aY--N-U-E-Q-H
実在していることをその本質として包んで縺れていないならば、それはあたかも実在しないもののようになる。
すなわち帰結するはずの結果として、一方で把握されたものが概念として包んで縺れていても、他方では把握されて概念になっていないのだ。
とはいえ存在しているかぎりは、何か原因として認識されるべきものを包んで縺れているのであって、これはみずからをとおして把握されて概念になるにちがいない。
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aX-V-NKLI-URS-ECA-QO-HF
実在していることをその本質として包んで縺れていないならば、それはいかなるものであれ、少なくとも観念としては真なるものにちがいない。
但し、帰結するはずの結果としては、まず与えられる原因がもし何ら決定されていないならば、また反対に、与えられたものが原因として決定されて、そこから一方で把握されたものが概念として包んで縺れていても、他方で把握されて概念になっていないのであれば、そうしたものがみずからとともにもっているものは、互いに何ら共通していないはずだ。
要するに存在しているかぎりでみずからにおいてすべてのものが、包んで縺れているものは、原因として認識されるべきなのであって、そうしたものは、結果として認識される。こうして、みずからをとおして把握されて概念になるにちがいないのが、それである。
produced by K.-m. as the SHYNAMITES.
* F版は初公開です。