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2014年1月2日

主は、あくまでモーセに対して仰せになった--新共同訳聖書ver.--

当方は今年も、一般の人が信仰してるはずの聖書を素直に読んでみるという試みに便乗することにしており、やはり文献学的な考証をする気は、さらさらない(cf.文献B,pp.263-264)。

本稿も、原典を使って遊ばずに、手持ちの翻訳で済ませるつもりだ。


さて、聖書(新共同訳)では、
「主はモーセに言われた」(出エジプト記24:01)と殆ど意味は同じであるが、
「神はモーセに仰せになった」(出エジプト記6:02)とか、
「主はモーセに仰せになった」(出エジプト記25:01,etc)とか、さまざまに表現されている。

「モーセに」と「仰せに」で韻を踏んでいるのが、じつにナイスである。
きっと音読や暗唱の都合を想定しているのだろう。

それはともかく、この場合、
主なる神が仰せになったのは、あくまでモーセに対してなのであって、
決して、(モーセとは明らかに別人の)当方に対してではないし、
ここで拙稿を読んでるアナタに対してでもないのだ。

なので、主なる神からモーセに告げられた内容については、
たとえ聖書をとおして伝わってきたにしても、
せいぜい参考にする程度に留めておこう。
あまり律儀に受け容れ過ぎないほうが、良さげだ。
(なんつったって、主なる神は、嫉妬の神だからね[前回の投稿を参照してね]。)

もちろん、「主はモーセとアロンに仰せになった」(レビ記13:01)という場合も、
主が仰せになったのは、あくまでモーセとアロンに向けてなのであって、
皆も当方も、この二人とは別人であるかぎり、あまり気にしないようにしよう。


では、今回はここまで。

皆も御自分にとっての神を大切にしよう。



引用・参考文献:

文献A: 共同訳聖書実行委員会 訳『聖書 新共同訳』(日本聖書協会、1987-88)

文献B: ケン・スミス著/山形浩生 訳『誰も教えてくれない聖書の読み方』(晶文社、2001)