今回の作業に入る前に。
先日、偶然にも、山形浩生さんの訳を発見!!
英語版からなのだそうです。
では、本題に入ります。
前回、放置した三重構造を一本化します。
あ、今ね、デカルトの『方法叙説』のね、第一部の第二段落(パラグラフB)をやってるの、うん、そうそう。
1.B101は別にして、
1.B102-B103-B104の順に従って、
三つのブロックをア-ウ-イの順に繋げます。
先頭の1.B101(グループ「ア」のなかの1.B101)は、
使いますが、
そのほかの1.B101は、一本化する際には省略します。
つまり、
ア[1.B101-B102-B106-B109]
+[1.B201-B203-B206-B209-B212-B215]
ウ[*
+[1.B201-B202-B205-B208-B211-B214-B217]
イ[*
+[1.B201-B204-B207-B210-B213-B216]
=ア[1.B101-B102-B106-B109]
+[1.B201-B203-B206-B209-B212-B215]
ウ[-B103-B105-B107-B109]
+[1.B201-B202-B205-B208-B211-B214-B217]
イ[-B104-B108-B109]
+[1.B201-B204-B207-B210-B213-B216]
ということですね。
では、処理開始~。
私としては、
決して推定したり、ましてや買い被ったりしたことはないのだが、そんな私が
想像することで、鮮明に判明するくらいだったら、
やはり誰か他の人々(が想像してもきっと同じくらいに鮮明に判明するのだろう。)
また、私はちっとも知らないが、
こうしたこと(記憶・想像・思考)以外にも資質はあって、
なんでも、その感じとしては、
我々を獣から区別することなのだとか。
この点において、後見したり見守ったりすることになるのは、哲学者たちの意見なのだが、それによると、平凡だけど、
やはり偶有性といった、それこそ偶然に有した事故とか不慮の出来事とかのあいだだけ、
(我々と獣の違いが現れる)、ということなんだよね。
たとえ、いかなる点においても凡人たちより完全な気質だか精神だかの私で居たとしても、
そして、迅速に考えて、
豊富に記憶したとしても、
やはり誰か他の人々(が迅速に考えて豊富に記憶したのときっと同じくらいになるのだろう。)
勿論、私のちっとも知らないような資質もあるにせよ、
その理由/根拠としてあるのは、
我々を人間たらしめる(人間に戻す)理性とやらが
各々において全面的に整っているはずだ、と信じる、ということだ。
結局、理性が豊かだろうが根拠が乏しかろうが、
同じ種の個体、というか、個人という類としては同じなのだな。
このように、度々望んで持っている私の考えが
在りありとしているくらいだったら、
やはり誰か他の人々(が考えてもきっと同じくらいに在りありとしているのだろう。)
いくら私はちっとも知らないとはいえ、
気質だか精神だかを完全にしてくれるのに仕える/使える/役立つ
唯一の物事が、理性/理由/根拠であるだけに、
私はそれが欲しいのだ。
ただ、哲学者連中の云うところの形相といった、いわば自然に形成されたもののあいだには、
理性とか理由とか根拠とかは少しもないんだね。
ん~今一つすっきりしない仕上がりですが、
他に良い処理方法が見当たらないので、
今回はこの辺で勘弁してくださいませ。
m(_ _)m
次回は(リンク集の記事を挟んで)、第三段落(パラグラフC)、
いよいよ、あの自惚れ山に登りますよ。
お楽しみに。
では、また会いましょう。
(早起きはしなくていいよ~)
