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2016年6月23日

路線図からの想い出話

架空鉄道の路線図を描く方法が何となく気になったので調べ、
可能な限りで当方も真似して作ってみた。

参照元:


▼拙作(路線図)の一部


...御覧のとおり、拙作は、あくまで仕上がりが路線図なのであって、残念ながら題材が架空鉄道ではない。

これは拙著『All-Ranged Juice』(邦題:呑めないヲレンヂ・ヂュース)の内容の構成図である。

文章化すると、
「本作は、デカルト(DESCARTES,Rene)による『省察』の「読者への序言」(PRAEFATIO AD LECTOREM)を扱うにあたって、同じくデカルトの「幾何学」から得たことを応用したものであり、三つの段階から成る。第一段階においては、「読者への序言」の各段落(ADAM & TANNERY版に準拠)を分解したのち、三重構造として再編成した。第二段階では、かの三重構造を保ちながら数段落を連結したところ、三つの組になった。すなわち、最初の段落から最後の段落まで三種類(計九通り)の仕方で至ることができた、ということである。さらに第三段階では、「読者への序言」の全段落を連結したので、三本一組の筋になった。」
(拙著『All-Ranged Juice』各版における「The HARVEST and DIGESTS-part 1 (其の壱)」の冒頭部分より引用)

ということになり、この図はまだ第二段階・第三段階を繋いでいない状態である。

cf.





で、この図は、拙著の内容の構成のみならず、デカルトの文体の構造も示している。

当方がこのように文体を図式化しはじめたのは、西暦2000年である。

はじめは、『方法叙説』の「第一部」(の邦訳)の内容を当方自身のために整理するべく、三つの項目に分類してみた、という素朴な作業であった。

▼谷川訳を使ってましたね


のちに、『幾何学』に載っている或る図形を見つけて、試しに当方の分類結果をこの図形に適用させてみた。

▼例の図形を二つ連結すると、案外、嵌るものですね

▼当時は、内容に即して、両極端をメリットとリスクって呼んでましたっけ


要するに、デカルトの呈した方法をデカルト自身に適用してみたのであって、
《もしそんなに良い方法があるというのなら、まずはそれを御自分やってみよ》、というわけである。
(デカルト自身ではなく、当方がその作業を代行したのだが。)

それで、『幾何学』に載っている図形を使ってみたというだけで、
当方のこの処理方法を、強いて名付けるとしたら「解析幾何学的処理」と呼ぶようになった。
とはいえ、そのように呼んでいるのは当方だけだと思うし(そもそも話題になっていない)、当方の処理には数学の欠片もない。

しかも、この図形をいちいち描くのが面倒なので、
その後、現在に至るまで、図面は略式である。初期の頃に戻ったようなものだ。

▼最近の図(パソコンで描いた場合)。これは『方法叙説』「第一部」の冒頭でしたかね

▼完全なる手描き。普段はこれより更に雑です(自分だけが判ればよいので)。これは『All-Ranged Juice』の一部分、(つまり『省察』「読者への序言」の一部分)ですね


図面は素朴に戻ったが、処理に支障はないのであって、
初めのうちは、全体像も意味も把握できるように邦訳を用いて処理し、
これが『方法叙説』のみならず、デカルトの文体ならいずれにおいても(てことは当然『省察』でも)この処理が通用する、ということも、のちに判った。

絵などを描くときにもし下書きをするとしたら、まず全体から下書きをするだろうが、それと同じ要領である。
もしこの処理に大きな不具合が有れば、邦訳を仮に処理した時点で不具合が判るので、
当方も早々に撤退することができる。
ところが、この処理を邦訳に施しても、大きな不具合は出なかった。(小さな不具合が有っても、これは原語と訳語の違いに基づくものであった。)
それで、ようやく原典(ラテン語だったりフランス語だったり)を処理し始めることができるわけである。

このように、《先に邦訳で試作/思索/施策して成功したら原典を処理する》というのが、あくまで当方の方針であった。

(なお、この方針について当方に文句をつけてきた)どこかの誰かさんたちみたいに、難解なものをいきなり冒頭の細部から読み始めることで、先人が苦労した懲りた術を辿るついでに同じかそれ以上の失敗を繰り返すのとは、大いに異なるのである。

細部にこだわるのは、後々の段階でよい。

ところで、こうして仕上げても、主役はあくまで拙著という、文章としての創作物なのであって、
図面は下書きの一部にすぎない。
なので、図面だけを別の創作物として独立させることもなく、当然ながら拙著の知名度を常に下回る存在であった。

ましてや、そもそも路線図にしようなんて思っていなかった(何せ、思い立ったのは今月である)。

この度、偶然知った路線図の作り方のおかげで、
拙著の既読・未読を問わず、
皆さんの観賞に堪えうる仕上がりに到った次第である。

数々の巡り合わせをとおして天と皆さんに感謝しつつ、
この処理を開発した頃の当方を、当方自身で救い出すべく、この件について述べさせて頂いた。

当時は、自尊心を完全否定されるような境遇に浸かりながら、唯一、この処理の開発に勤むことで、苦境に耐え忍んでいた当方である。
そのことについて、やっと説明できる余裕ができたのが、現在の当方である。
当時も今も前例なきこの処理方法が、ようやくここで日の目を見るようになれば、過去の当方自身も本望であろう。


さて路線図の話に戻るが、
各部分(原典で云うところの各パラグラフであり、邦訳で云えば各段落に相当する)ですら、
画像が嵩張るのに、これらを繋いだらいったいどうなることやら......と、かなり不安である。

当方、全体像を把握しているだけに、巨大画像になりそうなのは既に予測できており、
今後、皆さんの前で披露するには一工夫以上は必要であろう、と思われる。