「省察:考察を省こう 〜考えてるほど暇ぢゃねゑ〜」
* 第一省察の冒頭と第六省察の末尾を、細かく砕いて混ぜたよ。
[type A]
この考察が寄与するものはひじょうに多い。
だからこそ独りで隠退した私は、ついに本気で自由に、私自身の諸々の意見を、このように全般的に打倒することに没頭するつもりだった。
そんな私の気づくところによれば、本性上、私が晒されている過誤のすべてのうちで、身体にとって好都合なことに関わるものを記憶することでもって、現在のものを過去のものに連結すると、感覚から私に常日頃表示されるものは、はじき出されうるのであって、どうやらその試練に取り組むことにこれ以上適した年頃は、後には続かないようなので、残っている時期で実行することにしたのだが、夢のなかのものが記憶されても、それらは生活の残りの活動のすべてには決して結合されることはないので、私に忽然と出現しても、どこへ立ち去るのか私に判らないものが幻影であることに、不当はない。
なので私は、何か堅固で留まりうるものをいつか定着させて知識にするときが来るだろう、と待ち望んでいる。
すると、むしろ諸々の事物は、判明に私が気づいているかぎりでは、夢のなかにはないので、そうした事物がそのほかのものと矛盾しないということは、私には、これらの事物のうちなら、いずれからでも通知されるのであって、そのことにすでに数年前に気づいた私にしてみれば、ひじょうに多くのもののうえに後から私が積み上げたものは何であれ、かなり疑わしいのだが、だからといって、事物が行動されるべき必要に迫られている場合は、そのように精確に吟味されようにも、いつも猶予を許し与えられるわけではない。
↑[type A]
「この考察が寄与する」ものは「ひじょうに多い」(6.W101:AT.VII,89.08/E.94.06)。
だからこそ「独り」で「隠退した私」は(1.A403:AT.VII,18.0102/E.08.01)、「ついに」「本気で」「自由に」、「私自身の諸々の意見」を、このように「全般的に」「打倒」することに「没頭するつもりだ」った(1.A404:AT.VII,18.02-03/E.08.02-03)。
そんな「私の気づく」ところによれば、「本性」上、「私」が「晒されている過誤のすべて」(6.W102:AT.VII,89.08-10/E.94.07-08)のうちで、「身体」にとって「好都合なことに関わるもの」(6.W202:AT.VII,89.12/E.94.11)を記憶することでもって、「現在のものを過去のものに連結する」(6.W206:AT.VII,89.15-16/E.94.15-16)と、「感覚から私に常日頃表示されるもの」(6.W210:AT.VII,89.18/E.94.18-19)は、「はじき出されうる」(6.W303:AT.VII,89.20/E.94.21)のであって、どうやらその「試練に取り組むことにこれ以上適した」年頃は、後には「続かないよう」なので(1.A204:AT.VII,17.09-10/E.07.11-12)、「残っている時期で」「実行する」ことにしたのだが(1.A302:AT.VII,17.12/E.07.14)、「夢のなか」のものが「記憶」されても、それらは「生活の残りの活動のすべてには決して結合されることはない」(6.W502:AT.VII,89.23-24/E.94.24-26)ので、「私に忽然と出現して」(6.W506:AT.VII,89.26/E.94.28)も、「どこへ立ち去るのか」「私」に判ら「ない」ものが(6.W510:AT.VII,89.28/E.94.30)「幻影 spectrum」であることに、「不当はない」(6.W512:AT.VII,89.28-90.01/E.95.01)。
なので「私は」、何か「堅固で留まりうる」も のを「いつか」「定着させて」「知識に」するときが来るだろう、と「待ち望んでいる」(1.A107:AT.VII,17.06-08/E.07.07-09)。
すると、「むしろ」(ibid.:AT.VII,90.01/E.95.01)諸々の事物は、「判明に」(6.W602:AT.VII,90.03/E.95.04)「私が気づいている」(6.W604:AT.VII,90.04/E.95.05)かぎりでは、「夢のなかに」は「ない」(6.W607:AT.VII,90.06/E.95.08)ので、そうした事物がそのほかのものと矛盾しないということは、「私に」は(6.W703:AT.VII,90.09/E.95.12)、「これらの」事物のうちなら、「いずれからでも」「通知される」(6.W705:AT.VII,90.10/E.95.12-13)のであって、そのことに「すでに数年前に」「気づいた」「私」にしてみれば、ひじょうに「多くのもの」(1.A101:AT.VII,17.02/E.07.01-02)のうえに後から「私」が積み上げたものは何であれ、「かなり疑わしい」(1.A104:AT.VII,17.03-04/E.07.03-05)のだが、だからといって、「事物」が「行動されるべき」必要に迫られている場合は、「そのように精確」に「吟味」されようにも、「いつも」「猶予を許し与え」られるわけでは「ない」(6.W901:AT.VII,90.12-13/E.95.15-17)。
arranged by K.masamix "KIXAN" as the SHYNAMITES, 2019.
[引用・参考文献]
AT.:OEVRES DE DESCARTES, publiées par Charles ADAM & Paul TANNERY, nouvelle édition, J.VRIN, Paris, 1996.
E.:TOKORO,Takefumi 《LES TEXTES DES 〈MEDITATIONES〉》,Chuo University Press,1994.
cf.所 雄章 訳「省察」(『方法序説/省察』所収、白水社、1991),
cf.Meditetiones de Prima Philosophia Lateinisch/Deutsch, übersetzt und herausgegeben von Gerhart SCHMIDT, Philipp Reclam Jun.,Stuttgart,1986.