なにも、画家たちの仮想するべく励んでいるような、セイレーンやサテュロスといった生物でなくても、
また、必ずしも人間の半身に別の動物の半身を接いだような生物でなくても、
いわゆるキマイラとかキメラとかいう、
きわめてただならぬ姿なり形なりをした物に割り当てることのできる本性の部分ならいずれも、この作者たちにとっては新しい。
だから、キメラやキマイラで特許を得るのも、夢じゃないんです。
え、どうしましたか?
意味深ですか?
気のせいでしょう。
あくまでデカルトの『省察』の話ですよ。
ヰル○の話ではないですよ。
出典を明示しながら、もう一度。
なにも、画家たちの仮想するべく励んでいるような、セイレーンやサテュロスといった生物でなくても、
また、必ずしも人間の半身に別の動物の半身を接いだような生物でなくても、
いわゆるキマイラとかキメラとかいう、
きわめてただならぬ姿なり形なりをした(Med1.f402:AT.VII,19.31-20.01/E.10.09-10)物に割り当てることのできる本性の部分ならいずれも、この作者たちにとっては新しい(Med1.f404:AT.VII,20.02-03/E.10.12-13)。
Med.:Meditationes de Prima Philosophia.(AT.VII)(『省察』)
AT.: OEVRES DE DESCARTES, publiées par Charles ADAM & Paul TANNERY, nouvelle édition, J.VRIN, Paris, 1996.
なお、既刊の拙論では、こういう内容になってます↓
画家たちの仮想するべく励んでいるのが、なにもセイレーンやサテュロスといった、人間の半身に別の動物の半身を接いだようなきわめてただならぬ姿なり形なりをした生物でなくても(Med1.f402:AT.VII,19.31-20.01/E.10.09-10)、それらの生物に割り当てることのできる本性の部分ならいずれも、画家たちにとっては新しい(Med1.f404:AT.VII,20.02-03/E.10.12-13)。
別の表記で、もう一度。
画家たちの仮想するべく励んでいるのが、なにもセイレーンやサテュロスといった、人間の半身に別の動物の半身を接いだようなきわめてただならぬ姿なり形なり(forma)をした生物で「なく」ても(Med1.f402:AT.VII,19.31-20.01/E.10.09-10)、「それら」の生物に「割り当てることのできる」「本性」の「部分」なら「いずれも」、画家たちにとっては「新しい」(Med1.f404:AT.VII,20.02-03/E.10.12-13)。
ね。
典拠はデカルトの第一省察でしょ。
※ 拙著はこちら(同内容で別表記3種類)
『Going Straight in Straits』(迷走/瞑想のすゝめ)
La CHENAMITOJ / the SHYNAMITES著 (The Mat Mirror publishment)
Flat mix→ https://bccks.jp/bcck/161469/info
SmoothyBeaten mix→ https://bccks.jp/bcck/161478/info
HPML mix→ https://bccks.jp/bcck/161477/info
ね。
あくまで拙著の宣伝ですよ。