あ、べつに原典(今回はフランス語ね)にこだわらなくても、
翻訳書でも、このいじり方で、それなりに結果は出ますよ。
私も、試作段階では翻訳書を使って、このやり方で良さげだと確認していたのだからね。
ただ、原典を直にいじったほうが、内容的に精度が上がる、というだけの話です。
原典に対してであれ、翻訳書に対してであれ、
当方のやり方が、独創的で効果的であることに、変わりはないよ!!
だから諸君、安心して付いて来たまへ!!!
では、今回も、該当箇所を、細かく刻みま~す。
1.A201/ En quoi il n'est pas vraisemblable que tous se trompent;
1.A202/ mais plutôt cela témoigne
1.A203/ que la puissance
1.A204/ de bien juger,
1.A205/ et distinguer le vrai d'avec le faux,
1.A206/ qui est proprement ce qu'on nomme le bon sens ou la raison,
1.A207/ est naturellement égale en tous les hommes;
1.A208/ et ainsi que la diversité de nos opinions ne vient pas
1.A209/ de ce que les uns sont plus raisonnables que les autres,
1.A210/ mais seulement
1.A211/ de ce que nous conduisons nos pensées par diverses voies,
1.A212/ et ne considérons pas les mêmes choses.
そして、ジグザグに並べま~す。

で、三つに分けま~す。

今回も、重複して使う部品が有りますよ。
はい、ここで、解釈(意訳)しま~す。
フランス語と日本語とで語順の違いがあるので、
そこのところも臨機応変に対応していきませう。
この解釈の段階では、
書かれている言葉と、御自分のあらゆる人生経験(実体験も追体験も含めて)だけが、
頼りですよ。
[1.A201-A204-A207-A211-A212]
(感じの良さという)このことにおいて、どうやら、皆がみずからを欺くかの如くに思い違いをするらしいが、それは真ならず。
判断さえ良ければ、(=適正に判断する力があれば、)
すべての人間は、等しく、自然なのだ(自然で居られるのだ。)
(=すべての人間に等しく有るのは、自然なのだ。)
我々が自身で考えを導く際の道筋は、さまざまに異なっていて、
しかも、我々が考察している事物/物事は、同一ではない。
[1.A203-A206-A208-A210-A212]
なるほど、良い感じ、とか道理で、とか、理に適っているとか理(ことわり)とか称されているものには、力があるが、そもそも、
我々の意見に違いが出てこないのは、
もっぱら同一の事物/物事しか、我々が考察していないからである。
[1.A202-A205-A209-A212]
これが立証しているところによると、むしろ、
真を偽から区別する(力の)ことで、
一方の連中が他方の連中に比べて理性的だ(理に適っている)、というのであれば、
事物/物事は同一でも、我々のおこなっているのは考察ではない、ということだ。
はい。特に、1.A212の箇所、
大意は同じでも、どの語を否定するかで、少し細かく意味が変わります。
我々が考察している事物/物事は、同一ではない。
我々の考察していない事物/物事こそが、同一なのだ。
事物/物事は同一でも、我々のおこなっているのは考察ではない。
...etc.
文脈次第で、どの解釈が相応しいのか、異なるので、
この辺りも、臨機応変にやっていきませう。
今回の処理は、以上です。
ところで、
毎年、意味不明な帳面を読み上げて、試験までやった挙げ句、授業料を取って、
悠々自適な輩が居る一方で、
当方は、生活費も名誉もないのに、
なるべくシンプルに、しかも無料講座だぜぇ。もちろん試験も無いよ。
社会貢献度が高いのが、どっちなのかは、皆さんそれぞれに思って頂いて大いに結構。
ただ、もし拙稿を少しでも気に入ってくれたら、
嬉しいなぁ。
[余談]
ついでに、寄付・カンパの宛先の御案内。